2011年12月30日金曜日

棒ノ嶺から大洗・かあちゃんの店へ

2011年12月23日と24日に立て続けに秩父の棒ノ嶺、茨城県の大洗にあるかあちゃんの店に出掛けた。
棒ノ嶺は地元の岳友会の仲間と二人で、今年最後の山行ということで山と温泉、そして日本蕎麦を堪能した。
標高が1000メートルにも満たない山なので馬鹿にしていたが、結構きつく、そして快晴ではあったが、風が吹いていて汗をかいていたので寒さが体にこたえた。
冬の山行は油断がならない。
しかし山頂はほぼ360度の眺望であり、遠くスカイツリーも見える視界であった。


続いて、クリスマスイブということで、夫婦二人で大洗のかあちゃんの店へドライブ。
ここは、ことしの2月26日に訪問しており、なかなか新鮮な魚が食べられるお店という印象だった。折からの震災でここも被害を受けたというニュースが流れていた。
もちろん、気仙沼や石巻ほどではないにしろ、直前に訪問した地がその後どうなっているか見たかったということもある。
行ってみたら、前より立派に復活していた。
以前に食べたメニューに「とうちゃん御膳」や「かあちゃん御膳」などが加わり人気があるようだった。


結構、テレビ局や芸能人も来ているようで壁には色紙が沢山貼り付けてあった。
大洗に来たらおすすめのお店でもある。

2011年12月18日日曜日

平松市長の退任の日

大阪市長の平松氏は今日で大阪市長を退任する。1期4年の任期であった。
12月19日からは橋下新市長になる。
12月16日が退任のセレモニーだったそうだ。要は送別会。
金曜日が送別会で土日を挟んで月曜日に新市長に引き継ぎは、ある意味でスムースな流れ。
自分の場合は、木曜日に送別会で金曜日に何事もなく出社し、さらに翌週の月曜日に出て、火曜日の出社で終わるというのは間が持たない。変な感じ。
まあ、それでも退職後の年金や保険などの諸手続、会社の退職にあたっての手続きなどを終え、一段落であり不平はない。
いろいろあったが、とりあえずは、満員電車に揺られてストレスフルで毎日の出社から直に解放されるのはありがたい。
イギリス単身赴任の3年間は車通勤であったので他人から風邪の菌をもらうこともなく、過ごせたが帰国してからは、満員電車の中での他人の咳を避けようもなく、何回となく風邪を引いた。
おそらく、これからはそれもないだろう。ストレスフリーだ。ありがたい!

だからといって、満員電車で毎日痛勤しているサラリーマンを馬鹿にしているわけではない。
日本の勤労者はリスペクトされるべきだ。結構なストレスの中頑張っている。
先だって、オリンパスのバブル期の多額の損失を隠すための粉飾を行っていた経営陣が新聞を賑わせた。調査にあたった、第三者委員会は、「悪い意味での、サラリーマン根性の集大成」と表現した。
「経営陣が腐っている」とも揶揄された。
そうなるとまじめに技術開発に取り組んでいる開発者までもが腐ったサラリーマンと思われるが、幸いなことにオリンパスの場合は、そこは腐っていないらしい。経営側のみだ。
リスペクトされるサラリーマンは、中間管理層以下の人々だろう。
経営に携わるにつれ、腐っていくようだ。

ストレスフルの全国のサラリーマン諸氏にはこれからも頑張ってほしい。
「24時間戦えますか?」、そんな広告があったのが懐かしい。

2011年12月6日火曜日

12月8日とは?

猪瀬直樹東京都副知事のツィッターにリプライする形で「「昭和16年12月8日に何事があったのでしょうか?御教示下さい。」とあった。
氏は、冷静に、「戦後の学校教育に欠陥があったということですね。」と返信されていた。
こういう時代になってしまったということか。

氏の著書、昭和16年夏の敗戦によれば、戦前、総力戦研究所という組織で、日米がもし戦ったらどうなるかというシュミレーションをし上層部へ具申した。
シュミレーションの結果は、敗戦確実というものだったが、結果は、ねじ曲げられ、軍機構と内閣という二者の対立する組織で意思決定もままならず、ずるずると真珠湾攻撃を開始した。
東条英機は、A級戦犯として12月23日の当時の皇太子(現、明仁天皇)の誕生日に処刑され、暗黙にこの日を日本人の意識化に植え付けようとされた(ジミーの誕生日 アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」 )。

ここで重要なのは、有り体にいえば、なあなあで負けが明白な戦争に突入していったということ。
なぜ明白な負け戦に突入せざるを得なかったのか。単に、軍部の暴走が原因とはいえない。
軍部の内部組織、内閣及び官僚組織、そして重要なマスメディア(新聞等)、これらがどのような役割を演じて負け戦に突入していったのか。考えるべき点は多々ある。

2011年3月11日、三陸沖を震源としたM9.0の東北大震災が起きた。
震災は、未曾有の津波を引き起こし、東京電力の福島第一原発でレベル7の大事故を起こした。
1000年に一度と呼ばれる地震だそうだ。「想定外」という言葉が流行った。

日本は災害の国であり、この災害と向き合い、共生しなければ生きていけない。
大小種類の差はあれ、災害は起きる。しかし、問題は、どう向き合い、どう共生するかということだ。

口先だけの鳩山内閣が1年で倒れ、思いつき発言の菅内閣も1年で倒れ、今度は、どじょう内閣だ。
被災者をどう救援するかは、もちろん最初の優先事項だ。
しかし、災害と共生する国作りはどうするのか。
原発はトイレのないマンションと呼ばれるが、それが分かっていて原発を推進してきたはず。
原発推進し、核燃料廃棄物をどうするか検討はされてきた筈であり、問題提起もされてきた筈であろう。しかし、推進派を止めることはできなかった。
原発停止の現在、電力危機をどう乗り切り、そして今後どうしていくのか。
電力7社の地域独占体制。周波数問題。自然エネルギーと取り入れなどなど。

これらは新しい国作り、変革のチャンスであるはずだが、ころころ変わる内閣、現状を維持するしかない官僚機構、バラエティ化したマスメディア、これらが渾然とし、千載一遇の変革チャンスを失いかけている。あるいは消失したか。
そうして、また、なんとなく、落ちるところへ行き着くという事態になりつつある。
あの、日米開戦と同じ事がまた起きつつある。

12月8日は、日米開戦の日だが、それだけではなく、(戦争を思いとどまり、ねばり強く交渉すべき)チャンスを生かすことができなかった反省すべき日なのである。
同様に、3月11日が単に東北大震災の日となるのではなく、ピンチをチャンスに生かすことが出来た日として後生に残る日にしなければならないのである。
そうでなければ、12月8日に続き、3月11日もピンチをチャンスに生かすことができなかった反省すべき日としてしか残らないことになってしまう。
二万人近くが犠牲になり、原発事故では広範囲に、しかも半世紀以上影響を及ぼす事態になっているにも関わらず・・・

2011年11月22日火曜日

TPP

田原総一郎さんが「若い世代のTPP反対は「尊皇攘夷」に似ている」と日経BPネットで記事を書いている。
黒船が1853年に浦賀に来港して以来、江戸幕末は、開国が攘夷かで揺れ動いた。
言葉を換えれば、現状を維持して江戸時代の体制を継続していくか、開国し諸外国に門戸を開くかということだ。

田原さんは、TPP賛成か反対かの世論調査で、新聞系の調査では賛成が上回っているがニコニコ生放送でTPPの話題を取り上げ、同時に意見調査したところ圧倒的に反対派が多かったということで、これは、現代若者の内向き思考の表れと危惧している。
また、農業団体の反対の理由が、農業保護ではなく、どれだけ補償金を獲得できるかという、実は裏の条件闘争だということを忘れてはならないとも指摘している。

もう、数十年も日本の農業は、高齢化が進み、いわゆる三チャン農業といわれ、2010年の農業就業者の平均年齢は、65.8歳だそうだ。
これを保護する目的で補償金づけにし現状を保護したところで何のメリットがあるというのだろうか。
むしろ、TPP参加を契機に農業改革を抜本的に改革するいい機会ととらえるべきであろう。
TPP反対のままでは農業は「座して死を待つ」状況で、このまま時間が経過するだけで、日本の農業の未来は見えない。
TPP反対論者は、開国は避けて通れないことを承知で反対し、補償金のつり上げを狙っての条件闘争を期待していると思わざるを得ない。

若者の視聴が多い、ニコニコ生放送でTPP反対派が多かったのは、若者の就業困難や、年金問題など、就職すらできない現状を築き上げてきた年寄り世代へのアンチテーゼととらえている。

グローバル時代といわれてもう数年が経っている。これは、一国だけではもう経済は成り立っていかないことを示している。
企業は、欧米はもちろん、BRICsと呼ばれる新興国や東南アジアへの進出を果たしている。
先のタイの大洪水では、タイの日系企業が、日本の完成品製造の重要な一部を担っているということが分かった。
食料品も同様である。

それにも関わらず、TPP反対というのは、どういうことなんだろうか。
時期尚早というなら、いつならいいのか、どのようなプロセスで決めるのか。
鎖国か開国か、時代が幕末であれば、その後の大変遷は、歴史が物語っている。
情報化時代の今、鎖国状態では、いられないのはその通りであろう。
いくらTPP反対と唱えようが、農業は衰退していく、医療は崩壊し、企業はより条件のいい外国へ出て行く。

若い世代ほどこの国の状況を真剣に考えるべきであろう。
まさに利害関係者そのものだからである。

2011年10月19日水曜日

放射線量分布マップ

放射線量分布マップが文部科学省から公開された。
この分布マップを見ると如何に広範囲に放射能物質で汚染されているかが分かる。

これをみて、いつも思うことは、原発建設を決定する時に、原発建設地の市町村あるいは県のみが受諾あるいは拒否の意思決定に関与し、たとえば、福島原発の場合は、地図からみても、宮城県、山形県、群馬県、栃木県、茨城県、千葉県などが全く関与していないことである。
また、原発立地交付金や電源三法による交付金は上記の立地県以外には交付*されていない。

このように建設に関しては立地県のみが関与し、いざ事故が発生すると隣接他県に災害が及ぶという構図だと分かる。

原発建設は一つの県あるいは地域市町村の問題ではない。建設可否は隣接他県を含めて判断するべきものであり、いままでの判断の手法を根本から改めるべきだろう。

立地対象となる地域市町村にとって、過疎対策や地域振興などの為に交付金が喉から手が出るほどに必要だと聞く。しかし、国からジャブジャブ金を貰うことが対策となるのだろうか。
本来、過疎となる理由がある筈であり、その理由に対して正面から対策を打たないで国から金を貰うだけでは本質的な解決にはならない。
原発立地地域が次から次へ第二、第三の原発建設を容認している理由がそこにある。
地域振興の根本的解決がないまま、金を貰うだけなので、交付金が少なくなれば増やそうとして更に原発を呼ぶというスタイルを取らざるを得ない。
従って、原発立地地区には、かなりの数の原発が建設されていることになる。

一般住民にとっても、根本原因解決が無くても金が地域にばらまかれ、住民税や福祉施設が建設されていれば満足という症状をきたす。

中国電力が、原子力発電所を建設計画中の瀬戸内海に面する山口県熊毛郡上関町で原発推進派の町長が当選したのも同様事情からだろう。
もし、上関町に原発が建設され事故などが発生した場合、島根県、広島県、愛媛県、福岡県、大分県、長崎県などの隣接他県が被害を受ける恐れがある。
しかし、原発建設の諾否は、上関町と山口県が決めてしまい、交付金が流される。
これでいいのだろうか。

原発事故は、日本人固有の「水に流して」や「人の噂も75日」では済まされない。
放射能汚染物質は、除染しても消えない。移動するだけであることを忘れてはならない。
水に流せば、流れていく先で貯まるだけである。
セシウム137の半減期は約30年、60年で放射線が4分の一、90年で8分の一、だいぶ少なくなる。
そこまで待つか。おそらくこのブログを見ている方の多くは亡くなっているだろうが、子供達は放射線を浴びながら生きることになる。それが問題であり、今生きている我々の責任である。


*)六ヶ所村核燃料再処理施設や放射性廃棄物管理施設を抱える青森県には交付されている。


2011年9月7日水曜日

どの程度、放射線を怖がる必要があるか?

放射線防護は、法律で1年1ミリシーベルトが被曝限度とされていますから、その点ではすでに決まっているのですが、相変わらず政府は20ミリまでと言ったり、食品の暫定基準値が高かったり、学者の方が「放射線は浴びても大丈夫」と発言したりしていますので、「どうしようか?」と思っておられる人が多いので、再度、「どの程度の放射線を怖がる必要があるか」ということを説明しておきたいと思います。

【基礎知識】

基礎的には実に簡単です。

1. 学問的には1年100ミリ以上の被曝と病気の関係しかわかっていない(低線量の健康への影響は、医者の間で合意されていない)。

2. 学問は研究中は研究者同士の合意はできず、ほぼわかったら合意できる状態になる。

3. 1年100ミリ以下は「わからない」のであって、「危険」か「安全」かもわからない(医師同士で合意できない)。

4. そこで、1年100ミリから0ミリまで直線を引いた(このことを「***仮説」と呼ぶこともあるが、学問的には仮説と呼べるものではなく、「わからないから直線を引いた」にすぎない。「直線仮説」等というと議論したくなるが、もともと学問的な根拠がないのだから議論しても意味がない)。

5. つまり、1年100ミリ以下はわからないのだから、「エイヤッ!」と直線を引いただけ。人間にはわからないことがある。科学にも医学にもわからないことが多いことを認める。

6. このような場合、国際的にもやり方が決まっていて、それが「予防原則」であり、「取り返しのつかない損失」が予想される時には安全側をとることになっている。

7. 「風邪を引く」のは「取り返しがつく」と判断され、「ガンになる」は「取り返しがつかない」と分類される。近い将来にガンも「取り返しがつく」ことになると思うが、今のところ、「取り返しがつかない」に分類されている。

8. そこで、1年1ミリについては、(推定で)3人の医師が「危ない」と言い、7人の医師が「安全」というような状態だ。つまり1年1ミリ以上でも大丈夫だという医師の方が多いが、危険だという医師(主にヨーロッパ)がおられるので、慎重を期して1年1ミリに決めている。信念として被曝は危険としている医者もいるし、安全としている医師もいる。また学問的によく考えて安全としている医師もいる。

9. 国際的には1年5ミリ程度まで大丈夫ではないかという医師が多い。10ミリを超えると危険な可能性があるという医師が増えてくる。

10. これらから国際的にあるいは日本の法律で、予防原則の思想に基づき、1年1ミリと決まっている(社会的合意であって、医学的な合意ではない。それは医学者も知っているが、医学的に合意できないのだから仕方が無い)。

【具体的な方法】

1. 学者や医師は大いに議論して貰いたい。ただ、一般の人に自分の研究結果を伝えるときには「研究中であり、現在の社会的な合意とは違う」と言って欲しい。

2. 学者や研究者は、学問が間違いを含むことを常に意識し、自分の間違いの可能性について他人に損害を与えないように注意をする必要がある。

3. 子供の健康に責任を持っていない人は、あまり論評しない方がよい。特に社会全体に興味があり、個別の子供のことには関心の無い人はコメントを控えた方がよい。子供が病気になっても責任を持てないから。

4. 子供は放射線に対する感度が約3倍、被曝チャンス(地面に近く、運動などもするし、給食で強制的に汚染食材を食べさせられたりするから)も約3倍で、合計10倍だから、子供の1ミリは大人の10ミリに相当する。

5. 子供とともにいて、「今日、ここにいて良いのか?」、「この食材を食べさせたら良いのか?」と具体的に考えるお母さんの気持ちになって決めなければならない。

6. お母さんは「50%、ガンになる可能性がある」としたらゼッタイに避ける。「10%(10分の1)、ガンになる可能性がある」でも普通は避ける。お母さんが100分の1でも危険を回避してくれているので、日本の子供がすくすく育っていることを多くの人が理解しなければならない。

7. お母さんは慎重派であり、だからこそ子供が元気に育っている。
おそらく1年5ミリ以上を浴びても90%以上は安全と思うが、それではお母さんは子供を被曝から守るだろう。

8. 胎児、若い女性なども子供と同じように考えた方が無難である。おそらく子供より3倍ぐらいは安全である。

9. 若い男性もまだ感度が高く、一時不妊の可能性もあるので、女性の2倍ぐらいは安全という感じである。

10. 年取った男性はかなり安全である。ただ、子供や女性のことを親身で考え、「今日、自分の孫とここにいて良いのか? 確率的には10%の危険性という時に孫はどうするか?」と具体的に考えること。

よくおわかりになったと思います。つまり「被曝は大丈夫」と言っているお医者さんがおられても、子供を守るお母さんは安心できないということと、被曝と健康障害の関係は「誰でもガンになる」というのではなく、可能性が高いということから注意が必要なのです。

(武田邦彦(中部大学)教授 HPより引用)

2011年9月1日木曜日

今日は防災の日

非常持ち出し品リストの主な物

【1次持ち出し品】

(最初1日分をなんとかしのぐ程度)

〈1〉基本品目(大人2人分)
ペットボトル飲料水(500ミリ・リットル×6本)、懐中電灯(2個)、ライター(2個)、携帯ラジオ(1台)、軍手(2対)、ロープ(1本)、ばんそうこう(10枚~)、レジャーシート(1枚)、ポリ袋(10枚)、現金(10円玉×50枚)、粘着テープ(1個)など

〈2〉必需品・貴重品
車や家の鍵、携帯電話、預金通帳、健康保険証、運転免許証、印鑑など

〈3〉女性用品
生理用品、鏡、化粧品など

〈4〉高齢者用品
高齢者手帳、おむつ、着替え、持病薬、老眼鏡など

〈5〉赤ちゃん用品
粉ミルク、哺乳瓶、離乳食、ガーゼなど

〈2〉~〈5〉は事情に応じて検討。

【2次持ち出し品】
(3日分程度を想定)
 飲料水、アルファ米、インスタントラーメン、缶詰、ビスケット、衣類(下着、靴下)、タオル、毛布、雨具、電池、卓上コンロ、ガスボンベ、固形燃料、ラップ、紙皿、スプーン、フォーク、歯ブラシ、せっけん、使い捨てカイロ、安全ピンなど

 (人と防災未来センターの資料から)

新型の手足口病が大流行

今年の夏は新型の手足口病(*1)が大流行したそうだ。

例年は主としてコクサッキーウイルスA16(CA16)やエンテロウイルス71(EV71)が手足口病の原因ウイルスとなっていたが、今年はコクサッキーウイルスA6(CA6)が過半数を占めているということ。

そのため、「高熱が出たり、大きな発疹が現れるなどの症状が報告されている」(国立感染症研究所感染症情報センター主任研究官の安井良則氏)。
症状的には、高熱が出ることはほとんどなく、四肢末端に発疹が現れるのが通例であるが、今年は発症初期に39℃近い高熱が生じることが多いとのこと。
また、例年よりも大きな発疹が広範囲に現れたり、さらには、発症してから1~2カ月後に爪甲が脱落するケースも報告されている。

爪については、爪が剥がれても自然と生え替わるので治療は特に必要ないという。

発症数は多いが、重症例の報告はこれまでのところ少ない。
ただし、まれに髄膜炎、小脳失調症、脳炎などの中枢神経系の合併症や心筋炎、神経原性肺水腫、急性弛緩性麻痺などを呈することがある。
高熱が続き、嘔吐や頭痛がみられる場合は重症化する可能性があるので経過観察を慎重にすべきとのこと。

手足口病の一般的症状(ウィキペディアより)

初期症状:
発熱と咽頭痛がある。

1~2日後:
手掌や足底、膝裏、足の付け根(臀部)などに痛みを伴う水疱性丘疹が生じ、口内にも水疱が出現する。これが7 - 10日間続く。ただし、常に全ての徴候が出現するとは限らない。

多くの場合、1週間から10日程度で自然に治癒するが、まれに急性髄膜炎が合併し急性脳炎を生じる。
エンテロウイルス71の感染症例では頭痛、嘔吐などの中枢神経系合併症の発生率が他のウイルスを原因とする場合より高い。
また、コクサッキーウイルスA16感染症例では心筋炎合併の報告がある。

治療(ウィキペディアより)
手足口病のための特別な治療法はない。
ただれた部位の熱や痛みといった個々の症状は、対症療法によって緩和する。
ただし、中枢神経症状が発生した場合は入院加療が必要である
通常、感染症が治るまで自宅で安静にすることが病気に苦しむ子供にとって最も大切なことである。熱冷ましは高熱を下げるのに役立ち、水やぬるま湯による入浴もまた、乳幼児の熱を下げるのに役立つ。

*1)
手足口病(てあしくちびょう、英:Hand,foot,and mouth disease、略称:HFMD) コクサッキーウイルスの一種が原因となっておこるウイルス性疾患である。
病名は手のひら、足の裏、口内に水疱が発生することに由来する。
乳児や幼児によくみられる疾患であるが、成人も感染する。
乳児でまれに死亡することがある。 夏季を中心に流行し、汗疹と間違えられやすい。

2011年6月30日木曜日

不思議な日本

最近、こんな本を読んだ。
タイトルは、「戒名は、自分で決める (幻冬舎新書)」。
本の紹介欄には、下記の様な記載がある。
「戒名料の相場は約40万円―たった10文字程度の死後の名前が、かくも高額なのはなぜか?
仏教式の葬儀をした時、多くの人が納得できない思いをいだく布施の中の戒名料。
そこには厳然たるランクがあり、立派な戒名を授かるには100万円を超えることもある。
この戒名こそが葬式を贅沢なものにしているのだ。
日本独特の「戒名という制度」を徹底的に解説し、俗名(生前の名前)で葬られること、いっそ自分で戒名をつけることまで提唱した新時代の死の迎え方。」

自分の両親も他界してからもうずいぶんと経つ。
当時は、訳も分からずお寺の住職に戒名を依頼し、それなりの費用を支払った記憶がある。
しかし、その費用の妥当性は、なにも分からず、結局、「お気持ちで」といいながら、高額な費用を支払ってしまった。しかし、今でもなんだか腑に落ちない気持ちがある。
残された者がそうだから、残された者を思いやりながら亡くなった方の気持ちはどうなんだろうと思う。

翻って、自分の場合はどうなるんだろうかと思う。
この本には、戒名を自分でつけるフローチャートがあるから、いっそ自分で生前につけてこれで行こうと家族に行っておくかなどと考えたりもする。
「日本の不思議」のひとつである。

2011年6月25日土曜日

2011年6月22日水曜日

今度は、瑞牆山

瑞牆山は、標高2230メートル。
みずがきとは、神社の周囲に巡らす垣根のことで、もともとは「瑞垣」とも書くようだ。
瑞牆山南東にある金峰山同様、山岳信仰と結びついていたんでしょうか。
2名の山ボーイは、高速休日千円の最後の6月19日、早朝5時15分に待ち合わせ、2豚トラック、いや乗用車に乗り込む、これから待ち受ける登山に心うきうきと出発したのである。

2011年5月18日水曜日

茅ヶ岳

茅ヶ岳に登った。
相方は、前々日にカツ丼を食べ、2キロも太ったと騒いでいる山ボーイである。
「二人で行けば、2トン(豚)トラックだ」などと洒落ている。
この山は、随筆家で登山家でもあった、「日本百名山」で有名な、深田久弥氏の終焉の山である。
68歳、山頂直下で脳卒中のために亡くなったそうだ。その場所には、『深田久弥先生終焉の地』と表記された石碑が立っている。木造の古い柱の横に頑丈そうな石碑があり、お賽銭も幾ばくか置いてある。
茅ヶ岳を次の山行の山に選んだのは、おきゅうさんが、「茅ヶ岳に登りました」といって、山頂の写真を送ってきたことがきっかけである。
ちょうどそのときは伊豆ガ岳を登り、下った付近で岳友会の仲間と昼食を食べていたときだった。

2011年4月26日火曜日

液状化を防ぐ工法

浦安市は今回の震災で液状化がおこり、ライフラインが被害を受けた。
浦安市の現場では、電柱が沈んだり、埋め立て地の歩道で4メールのマンホールが地上1メートルに突き出たりで、下水管が破損した。
その為、水道からは水がでなくなり、トイレも流せなくなり、電気は使えない状態が1ヶ月も続いた。
地盤が埋め立て地であり、軟弱だったのが理由である。
当然、その上に立っている戸建て住宅は、家が傾いたりしているものが相当数にのぼる。
しかし、高層住宅や、ディズニーランドではこのようなひどい状況にはなっていない。
しっかりと地盤を固めたのが理由とされている。
この地盤を固める工法は、サンドコンパクション工法と呼ばれる。よくビルの建築現場でみかけることもある。
おおきな穴の空いたケーシングと呼ばれるパイプを地中に打ち込み、抜きながら先端に採石をいれ打ち固める。それを繰り返し、採石の大きな柱を構築し地盤を支えていく。
水分は、この採石を通して地中に流れるので土壌粒子が大きく、保有水を多く含んだ軟弱基盤(第三種地盤と呼ばれる:建築基準法に関する告示)には最適とされる。
本来は、住宅地でもこのような工法で地盤を固めておく必要があったということだ。
埋め立て地での住宅造成は、このような工法などを採用しながら実施していくべきだがそれではかなりの建築コストがかかるから戸建ての購入者には無理だろう。
埋め立て地は、県や市が中心となって行ったのだろうからその責任は大きいと思う。

2011年4月22日金曜日

かけ算のできない東大教授? 原発問題放映テレビの解説者。

最近の原発関連のテレビに出ている東大教授、解説者のコメントに対して、中部大学の武田邦彦教授がブログでコメントしている。
思わず納得するとともに、視聴者の一員としてだまされてはいけない、より賢くならなければいけないと思う次第。

---ここより引用部分---
食品で、危険な兆候が見られましたので、言葉足らずですが短い警告を出したいと思います。
福島原発事故の最初の段階に福島市で1時間に20マイクロ(シーベルト、後は省略)の放射線が観測されました。
これに対して、テレビに出ていた東大教授が、「1回のレントゲンで600マイクロだから、それの30分の1。まったく問題がない。」と発言しました。

東大教授は「かけ算」ができないのです。
20マイクロは1時間あたりですから、30時間たつと600マイクロになります。従って、福島市に住んでいる赤ちゃんは1ヶ月に24回のレントゲンを受けることになります。
このようなことをコメントするというのは、わたくしはやや犯罪とも言える気がします。
・・・・・・・・・
本日、似たような事が民放でありました。
民放のある解説者がほうれん草の汚染について解説をし、「ほうれん草の汚染が基準値を超えているといっても、100ミリになるまでには80キロ程のほうれん草を食べなければいけない。」
といってほうれん草の安全性を強調していました。
もともと100ミリ等という基準値はありませんし、ほうれん草等の食品中の放射性物質の規制が厳しいのは、原発から放射線が漏れるような時にはほうれん草だけが汚染されているわけではないのです。
また、ほうれん草の中にはヨウ素だけではないので、30年の半減期を持つものが多く、ヨウ素の半減期を言っても意味がないのです。この解説者の言うことを信じれば、放射線の疾患になる人が出てくるでしょう.規制値は規制値なのです。
東大の先生が「かけ算ができない」とすれば、この解説者は「足し算ができない」といえます。
・・・・・・・・・
このところ情けない解説が続くので原子力の技術者としてのわたくしの信念を申し上げます。
科学技術は人類に貢献するために行うのであって、決して人類の健康を損なっては、やるべきではないのです。
わたくしたち原子力に携わる技術者は原発から出る放射線を絶対に基準内に収めなければなりません。むしろ、自然放射線と違わないぐらいに減らして十分に安全な状態で原子炉を運転し、エネルギーを供給することこそが、わたくしたち技術者のプライドなのです。
この期に及んで、放射線の規制値の解釈をごまかし、被曝する量があたかも少ないようなことを言う原子力関係者がいることは本当に恥ずかしいことです。
わたくしたちは福島で失敗し、信頼を裏切ったのです
.
せめて正しい情報を伝えるべきです。また、農作物が売れなくなって農家の方は大変でしょうが、魂のある農家の方なら自分の作ったもので消費者が健康を害することを望むでしょうか?
農家は被害者、技術者は加害者ですが、共に与えられた天職に対してプライドがあります。
(中部大学 武田邦彦教授のブログより)
(C) 2007 武田邦彦 (中部大学) 

2011年4月13日水曜日

原発を無くして全て太陽光発電にした場合

これはあくまでも仮定の話。
もし、原発建設を一切やめ、その費用で太陽光発電設備を各家庭に無償で配布し、そこから得られる電力を原発の代わりに使うとするとどうなるのか。


どのくらいの原子力発電所があるのか:
2009年12月末現在、商業用の原子力発電所は54機、合計出力4884.7万kW(キロワット)が運転しているということです(電気事業連合会のホームページより)。


仮に原発の発電量を火力発電所で代替する場合、どの程度の費用がかかるのかという試算がある。
北陸電力の2000年9月28日付けプレスリリース「敦賀火力発電所2号機(70万kW)の運転開始について」によると、敦賀火力発電所の1号機(出力50万kW)の建設費が約1500億円、2号機(出力70万kW)が1275億円と記されている。
出力が高くなると建設費も高くなると云うわけでもないようだが、仮に中間の60万Kwの火力発電所を件セルするとなるとコストは、1388億円と仮定される。

全ての原発を火力発電所の置き換える:
そうなると、2009年末では、54機、合計4885万Kwあるのだから、4885/60=82 であり、82機の火力発電所が必要となり、その建設コストは、1388億円×82=11兆3816億円となる。

全ての原発を太陽光発電設備に置き換える:
それでは、全ての原発を家庭用の太陽光発電設備に置き換えるとどうなるか。
一台の家庭用太陽光発電設備は、3kWから4kWの発電能力があり、コストは、165万~240万くらいであろう。
そうなると、コストは、1630万個の屋根に設置し、((4885×10の4乗kW)÷3)×240万円=約40兆円と試算される。

ただし、単純にいかないのは、太陽光発電は、昼間のみ利用可能。また、発電も100%にはならない点に注意が必要だ。

しかしながら、夜間の電力需要は昼間の半分であり、昼間の発電量の10%でも太陽光発電で補うことができれば、原発は減らせるのは容易に推測できる。
1630万の屋根以上に設置することができ、かつ発電効率がさらにアップすれば更に削減が可能となろう。
また、風力発電などの他の自然エネルギーも加えることも可能であり、要は政策側のやる気があるかどうかということだろうと思わざるを得ない。

2011年4月7日木曜日

1億の人に1億の物語

震災で亡くなられた方々のそれぞれの方に生まれてから亡くなるまでの物語があるということをしみじみと感じる。

子供を亡くし、その子供との思い出の品を探しに三陸へ来る親。
両親を亡くし、両親を捜して被災地を歩き続ける娘。
妻を亡くした市長。
記事にされることなく亡くなっていった多くの魂。

それぞれに、生まれてから震災に遭い、亡くなるまでの長い物語があるに違いない。
記事になったものを読むだけでも心を揺さぶられる。

日本は、多くの自然災害に見舞われる国である。避けては通れない。
毎回の自然災害の度に、生きるか死ぬかを繰り返す。
なんとか悲劇を無くすことは出来ないものだろうか。
同時に、多くの自然災害を乗り越え、日本を築き上げてきた一億の民。
自分もその中の一員としてこの国を愛そう。
そして、何度災害に見舞われたとしてもまた立ち上がり、この国を一緒に支えていこうと思う。

愛LOVE日本!

2011年4月6日水曜日

今後想定されること・・・

震災復興の為、一時的とはいえ、公務員の給与を5%カットし、その分(約1500億円)を復興財源に充てるという。
地震、津波、原発。この先、何が起きるのだろうか。
地震や津波、原発の先々の予測は難しいが、素人が予測できるのは以下のことか。

東京電力関連:
国有化 - 一部(原発関連)か全部か。
役員、管理職の賞与、給与カット
一般社員の賞与、給与カット
早期退職勧奨
福利厚生施設の売却
原発計画の大幅見直しあるいは撤退。

一般国民関連
年金減額
食料品の価格高騰、一部品不足。
電気代の値上げ
石油関連製品の価格高騰(ガソリン、塩ビ製品など)、品不足。
節電の為の総量規制
クールビズの早期開始と遅めの終了
クールビズ、クール下着の販売増加
節電商品の販売増加(LED電球など)
ハザードマップの見直し(歴史史実の検証、見直し)
耐震建築の基準見直し → 建築基準法
津波耐性都市の構築
インターネットなどの通信インフラの見直し


その他、希望。災い転じて福となす作戦!
この際、電力の相互融通を円滑にする為に、50ヘルツ、60ヘルツの壁を取り除き統一する。
スマートグリッド計画の大胆な促進(上記と絡める)。
風力発電、太陽光発電などの大胆な促進。ある程度義務化。自然エネルギー立国をめざす。
広告ネオンの撤去など都市景観との調和を目的に、節電施策の恒久化。
災害用ロボットの開発(リモコン型、ガンダム型)

参考
防災ロボットの開発(文部科学省)
ロボットスーツHAL(サイバーダイン社)


2011年4月5日火曜日

鎌倉の大仏も被災者?

奈良の大仏は、お堂の中に坐っていらっしゃるのに、鎌倉の大仏は、空の下、何故お堂(大仏殿)の中に納められていないのか、なんとなく不思議で、それが鎌倉の大仏の特徴かとも思っていた。
特に、冬の青空をバックに鎮座している姿は、無宗教の俗人ですら感じ入ってしまう。

それが、実は、お堂の中に納められていて、500年以上前の東海地震で起きた津波によって、お堂が流され、現在の姿になったのだと聞くと今更ながらに仰天してしまう。
標高20メートルを駆け上がって大仏殿を破壊した地震と津波の規模を、3月11日に起きた東北大震災から推測しても、当時としては、相当の規模だったに違いない。

地震の発生した年については、、『鎌倉大日記』は明応4年(1495年)とするが、『塔寺八幡宮長帳』などの他の史料からは、明応7年(1498年)が正しいと考証されている。
一方、室町時代の禅僧・万里集九の『梅花無尽蔵』によると、文明18年(1486年)、彼が鎌倉を訪れた際、大仏は「無堂宇而露坐」であったといい、この時点で大仏が露坐であったことは確実視されている(高徳院 Wikipediaより)

現在、神奈川・鎌倉市の津波ハザードマップでは、最大7メートルの津波を想定、静岡・沼津市の津波ハザードマップでは、最大10メートルの津波を想定しているそうだ。
しかし、鎌倉大仏の被災の歴史を知ったとき、その想定が妥当と言えるのだろうか。
あるいは、現実に地震が発生し、津波が起きた場合に、想定外と言えるのだろうか。

3月11日の地震が発生した当時、オフィスで勤務していたが、当時オフィス内に流れたアナウンスは、「当ビルは、関東大震災級の地震にも耐えられる作りになっているので安全です」というもの。
技術者や政治家が想定する範囲は、せいぜい関東大震災級の地震ではなかろうか。
あるいは、最近で考えれば、阪神・淡路大震災であろう。
そうして、決まって、関東大震災規模の1.x倍にも耐えられる作りだとかいう。
しかし、日本の歴史は、2000年以上ある。文献もかなり残っていて、また、歴史考証も進んでいる。
いまこそ、過去を振り返り、今一度現在の、地震、津波などに対する備えを見直すときだろうと思う。

温故知新、まさに日本の歴史の再認識が将来の道しるべとなる。

参考:
津波災害は繰り返す (平成13年6月30日発行、東北大学広報誌 まなびの杜№16より)
仙台平野を襲った津波が800年から1100年の周期で再来すると予測。
貞観津波が、3代実録(日本紀略、類聚国史171)の貞観11年5月26日(西暦869年7月13日)に記録されていることから、1969年以降いつ起きてもおかしくないと予測。


5年前に指摘されていた福島原発「津波」への無力(プレジデントロイターより)



2011年3月30日水曜日

メディアのバイアスが作り出す「放射能の恐怖」(Newsweekから引用)

東日本関東大震災により被災した福島第一原発。
その修復作業は遅々として進まない。さらに悪いことに、福島原発から放出されたと見られる放射性物質が首都圏に及んできた。
東京都の金町浄水場から乳児向けの暫定規制値を超える放射性ヨウ素131が検出されたのである。
この為、人々は、スーパーやコンビニに押し寄せ、ミネラル・ウォーターを買い占め、結果、これらが店頭から姿を消した。
さらに、福島県や茨城県の農産物や牛乳も出荷制限され、政府は「危険ではないが出荷を自粛してほしい」と奇妙な要請をし、おかげで福島産や茨城産の農畜産物がすべて売れなくなった。

メディアは、正しく伝えているだろうが、しかし、他のリスク(BSEや口蹄疫、タバコによる肺癌など)との比較など無しに、ただ単に恐怖をあおり、読者の関心をあおる手法が正しいのだろうか。
本記事は、そのような観点でメディアへの警鐘となる。

------------------------------
こういう騒ぎは初めてではなく、客観的にみてリスクがゼロに近いBSEや口蹄疫のときも起こった。放射能も、多くの科学者が説明しているように、いま首都圏の水や野菜から検出されている程度ではまったく健康に影響しない。
しかし人々はリスクをゼロにしようと買い占めに走り、食べられる食物を拒否する。その結果、大量の食品が無駄になり、大きな社会的コストが発生する。

このような過剰セキュリティを生む主犯は、マスメディアの過剰報道である。
ニュース価値は、出来事の絶対的な重要性ではなく相対的な稀少性で決まるので、ありふれた大きなリスクより珍しい小さなリスクが報道される。男性の半分はガンにかかり、3人に1人はガンで死ぬ。その最大の原因はタバコで、男性の場合はガンによる死因の40%をしめる。しかしタバコで毎年10万人以上が死んでも、ニュースにはならない。

タバコによる肺ガンで死ぬ人をニュースで取り上げていたら、紙面はそれだけで埋まってしまう。
メディアは読者に読んでもらわなければならないのだから、原発やダイオキシンのような珍しい(小さな)リスクを大きく扱うのは合理的だ。
行動経済学の言葉でいうと、メディアは必然的に代表性バイアス(特殊なサンプルを代表とみなす傾向)をもっているのである。

もちろん放射能のリスクはゼロではない。厳密にいえば、どんな微量の放射線でも遺伝子がごくわずか破壊されるので、発ガン性はゼロではない。日常的にわれわれの浴びている放射線や健康診断で浴びるX線、あるいは飛行機で浴びる宇宙線のリスクもゼロではない。しかしリスクをゼロにしようと思えば、どんな食物も口にしないで防護服をかぶって家に閉じこもるしかない。問題はリスクをゼロにすることではなく、リスクとそれを避けるコストを客観的に比較して最小限のリスクを負担することである。

そのためにはリスクと経済性の客観的な評価が必要だが、すべての情報を片寄りなく認識することは不可能だから、なんらかのバイアスは避けられない。問題はメディアがバイアスをもっていることではなく、情報が少数の媒体に独占され、十分多様なバイアスがないことである。だから必要なのは政府が被害を過小評価して「大本営発表」することではなく、ありのままに発表して多くのメディアが相互にチェックすることだ。

したがって新聞やテレビのように読者の関心を引きつける必要のない非営利のネットメディアが、バイアスを中立化する上で重要な役割を果たす。今回も科学者がブログで客観的データを提供し、ツイッターでも「放射能に騒ぎすぎだ」という意見が圧倒的だ。「福島原発はチェルノブイリになる」と恐怖をあおった広瀬隆氏は批判を浴びてメディアから消え、科学的根拠なしに「放射能がくる」という特集を組んだAERAは、激しい批判を浴びて謝罪文を掲載した。

これはかつてメディアで「反原発」や「放射能が恐い」といった恐怖をあおる記事が圧倒的だったのと対照的である。
売るために特殊なリスクを誇大に伝えるマスメディアのバイアスを普通の市民のインターネットが打ち消したとすれば、日本社会も成熟したのかもしれない。
これは今回の災害の中で、数少ないよいニュースである。

(Newsweek 2011年03月24日記事より引用)

2011年3月17日木曜日

テレビ

知人の実家が宮城県石巻市である。
被災から情報が入らなくなり、一生懸命テレビを見ていたがいっこうに現場が映し出されない。
現地と携帯もつながらず困惑していた。
結局、なんとか3月15日には現地の知人と連絡がとれ、その知人から肉親の情報がはいった。

東京都の猪瀬副知事が各局のテレビが同じ現場を放映するばかりで、公共の電波なのだから各局分担し合ったらどうかとツィッターでつぶやいていた。
その通りだと思う。この分担はなんとかならないのか。
このままでは、だんだんと各局の放映は、バラエティー番組と同様になってしまう。

また、東京電力の会見においての取材側の質問も官房長官の記者会見に比べてひどい。
まるで犯罪者扱いの質問やヒステリックな記者を見ると哀れさえ感じてしまう。
冷徹なまでの冷静な対応が今必要だと思う。

2011年3月13日日曜日

東北地方太平洋沖地震

2011年3月11日午後2時46分発生。
発生当時、7階建ての建物にいた。揺れで立っていられないのはもちろん、座ってもいられない状態だった。
建物は関東大震災級の地震にも大丈夫とのアナウンスが流れたが壁にはひびが入っていた。
その後も大きな揺れが続き、内部はパニック状態。
外への避難が決定されたが中には大丈夫だろうと残るものがいて全く統制がとれない。
日頃の避難訓練がされているもののいざというときには全くといっていいほど役に立ってない。
防災ヘルメットも配布されなかった。
また、帰宅方向が同じものを集めて、タクシー券を渡され、帰宅指示がでたが、これは、帰宅難民になれという指示も同然だった。
いちど外へでたら、タクシーが捕まらないのは当然! 多くの人が自分の家の方向へ向けて歩いており、自動車であふれかえるのは想像つくが、人であふれかえるのは前代未聞。
都心から郊外の自宅へ歩くと8時間以上もかかるのではないだろうか。
幸い、途中で同僚の70歳の父親が迎えに来てくれ同乗できたので4時間弱の徒歩ですんだがおそらく他の方々は8時間以上の歩きか途中の帰宅難民用の施設で夜を明かしたに違いない。

2011年2月14日月曜日

最近読んだ本

最近、立て続けに、東京の副知事である猪瀬直樹氏の著作(昭和16年夏の敗戦 ジミーの誕生日 アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」東京の副知事になってみたら)を読んでみた。
大学入試では、日本史を取ったが、それでも近代史はなかなか複雑で苦手であった。
日本が米国と戦争したにしても、それは当時の軍部の暴走だろうぐらいの知識であった。
ABCD包囲網により、石油などの資源が枯渇し、それを求めて南進をした位の程度の勉学であった。
総力戦研究所に関しては、新たな情報である。
また、もともと当時の組織構造が、天皇を中心としてはいるが、二重権力構造であり、その為、大本営等の軍側を内閣が抑えることができなかったなどは、今更ながらにそうなんだと納得。
現在のシビリアンコントロールは、その点を抑えたフィードバックなんだろう。
東京の副知事になってみたら」は、是非、読んでおくべきだと思う。
国と地方の関係がよく分かる。東京都民として早く読んでおけば良かった。
氏の調査力もすごいと思ったが、政治家としてのバイタリティ、タフネゴシエーション、説得性など、今の政党政治家と比較すると考えさせられてしまう。

2011年2月9日水曜日

携帯のつながりやすさ

いまどきは、子供から大人まで携帯を持っている。
むしろ、駅の公衆電話を使う人を見るのが珍しい世の中だ。
最近は、iPhoneに代表されるようなスマートフォンにガラパゴス携帯から移行しているようにも見える。
そんな便利な携帯なのだが、必ずしも必要なときに使えるとは限らない。
あるいは、使えても遅いなど不便な場合も使えたとはいえないだろう。
 先だって、テレビで紹介された秩父の三十槌(みそつち)のつららに車で出かけた。
iPhoneは非常に便利だ。我が家の車のカーナビは、長年更新していないせいか、新しい道などは載っていない。また、目的地付近に来たが、カーナビはピンポイントで指示していないので迷ってしまう。
そんなとき、iPhoneで検索し、地図表示できれば目的地までのルートが明確に分かってしまう。
ところが、そのような便利さも携帯やスマートフォンがネットワークに接続できた場合にかぎってであろう。
三十槌(みそつち)のつららに出かけた帰り道に、道の駅大滝温泉に立ち寄ってみた。
秩父なのでiPhoneは使えないだろうと予想したが案の定、娘のiPhoneは、つながらなかった。
娘は不満たらたらだったが、ちなみに、自分が使っているドコモの携帯はつながるだろうかと試してみたところ、つながるではないか。
たしかに携帯やスマートフォンは便利だが、使いたいときに使えない携帯ってどうかと思うのは自分だけだろうか。
もし、全国の道の駅で、各社の携帯の接続性を○×つけたら面白いと思う。

2011年1月26日水曜日

東京水道水

昨日、日本vs韓国のサッカー試合がドーハであった。
勝敗は、日本がかろうじてPK戦で勝利したが、それに絡んで、東京都副知事の猪瀬直樹氏がツイッタで東京水道水の水圧オペレーションを紹介していた。
それによると、日本(東京)の試合会場で、試合中は、水道の水圧を下げ、試合が終わると同時に水圧を上げるというようなオペレーションをしているそうだ。
試合が終わると一斉に皆トイレに駆け込むから、瞬間的に水圧は下がる。それを補う水圧を上げるオペレーションをするという。
普段何気なく使っているトイレもこのようなオペレーションを水道局がやっていると思うと、押せば流れる、ひねれば「自然に」流れる流水も実は「自然ではない」ことに気づかされる。
日常の便利さも、常に便利であると、それが自然のことのように思えてくるが、実は、自然はもっと過酷で、それを人間の努力で補っていることを忘れてしまう。
考えてみると、我々は、「虚構の中の自然」の中で、虚構の自然を実際の自然と感じて生きている気がしてならない。