2011年12月6日火曜日

12月8日とは?

猪瀬直樹東京都副知事のツィッターにリプライする形で「「昭和16年12月8日に何事があったのでしょうか?御教示下さい。」とあった。
氏は、冷静に、「戦後の学校教育に欠陥があったということですね。」と返信されていた。
こういう時代になってしまったということか。

氏の著書、昭和16年夏の敗戦によれば、戦前、総力戦研究所という組織で、日米がもし戦ったらどうなるかというシュミレーションをし上層部へ具申した。
シュミレーションの結果は、敗戦確実というものだったが、結果は、ねじ曲げられ、軍機構と内閣という二者の対立する組織で意思決定もままならず、ずるずると真珠湾攻撃を開始した。
東条英機は、A級戦犯として12月23日の当時の皇太子(現、明仁天皇)の誕生日に処刑され、暗黙にこの日を日本人の意識化に植え付けようとされた(ジミーの誕生日 アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」 )。

ここで重要なのは、有り体にいえば、なあなあで負けが明白な戦争に突入していったということ。
なぜ明白な負け戦に突入せざるを得なかったのか。単に、軍部の暴走が原因とはいえない。
軍部の内部組織、内閣及び官僚組織、そして重要なマスメディア(新聞等)、これらがどのような役割を演じて負け戦に突入していったのか。考えるべき点は多々ある。

2011年3月11日、三陸沖を震源としたM9.0の東北大震災が起きた。
震災は、未曾有の津波を引き起こし、東京電力の福島第一原発でレベル7の大事故を起こした。
1000年に一度と呼ばれる地震だそうだ。「想定外」という言葉が流行った。

日本は災害の国であり、この災害と向き合い、共生しなければ生きていけない。
大小種類の差はあれ、災害は起きる。しかし、問題は、どう向き合い、どう共生するかということだ。

口先だけの鳩山内閣が1年で倒れ、思いつき発言の菅内閣も1年で倒れ、今度は、どじょう内閣だ。
被災者をどう救援するかは、もちろん最初の優先事項だ。
しかし、災害と共生する国作りはどうするのか。
原発はトイレのないマンションと呼ばれるが、それが分かっていて原発を推進してきたはず。
原発推進し、核燃料廃棄物をどうするか検討はされてきた筈であり、問題提起もされてきた筈であろう。しかし、推進派を止めることはできなかった。
原発停止の現在、電力危機をどう乗り切り、そして今後どうしていくのか。
電力7社の地域独占体制。周波数問題。自然エネルギーと取り入れなどなど。

これらは新しい国作り、変革のチャンスであるはずだが、ころころ変わる内閣、現状を維持するしかない官僚機構、バラエティ化したマスメディア、これらが渾然とし、千載一遇の変革チャンスを失いかけている。あるいは消失したか。
そうして、また、なんとなく、落ちるところへ行き着くという事態になりつつある。
あの、日米開戦と同じ事がまた起きつつある。

12月8日は、日米開戦の日だが、それだけではなく、(戦争を思いとどまり、ねばり強く交渉すべき)チャンスを生かすことができなかった反省すべき日なのである。
同様に、3月11日が単に東北大震災の日となるのではなく、ピンチをチャンスに生かすことが出来た日として後生に残る日にしなければならないのである。
そうでなければ、12月8日に続き、3月11日もピンチをチャンスに生かすことができなかった反省すべき日としてしか残らないことになってしまう。
二万人近くが犠牲になり、原発事故では広範囲に、しかも半世紀以上影響を及ぼす事態になっているにも関わらず・・・