2013年9月29日日曜日

娘の意見

いつからそうなったんだろうか、よく分からない。
自分では、目が悪くなってきて、目を細めないと見えないからだといつも言いはっている。長年、毎日8時間もパソコンの画面を見て仕事をしてくれば肩もガチガチに凝るし、そりゃあ目も悪くなる。
入社して最初の頃は、若さが元の状態に戻してくれたが、「若い」から「中年」、「中高年」と歳を重ね、仕事もバリバリと新しい製品を開発する当事者から、人間関係と開発工程をコントロールする管理職になり、元に戻す力は衰え、退職する頃には、完全に消え失せ、ますます眉間の縦皺は増してきた。
それでも、男の顔は歳をとればとるほど魅力的になるのだと信じて、テレビに映る70歳台の男優を指し示し、「男の顔は、若い頃より、歳とった頃の方が魅力的なのだ」と言ったりしていた。
それが突然、「お父さんは顔で損しているね」と娘から言われ、「どうして?」「だって、折角の美味しい料理を不味そうに食べているもん」と言われると自分の今までの考えが見方によってこうも変わるかと、…グッとくる。
「自分では普段通りなんだけどなぁ」「ほらほら、また眉間に皺寄せているよ。」。
どうやら、今の自分の顔は渋柿同様の有り様らしい。近所の柿の木から熟した柿は道路に落ち、ベチャという音と共に潰れている。
渋柿どころか、きっとあの落ちて潰れた柿の方が相応しいのか、などと思いつつ娘との久しぶりのレストランでの食事を終えた。

谷中の面白い写真

電柱にこんな…。

2013年9月23日月曜日

谷根千

日頃何かと話題に登る谷根千に出掛けた。
谷根千とは、谷中、根津、千駄木辺りの地域を総称して言うらしい。
先ずは谷中からスタートしてみる。
日暮里駅を北口改札から西口へ出ると既にぞろぞろと町歩きの人々がたぶん同じ方向だろう向きへ歩いている。
ついて行くとやはりそうだ。
「夕焼けだんだん」から谷中銀座の商店街がよく見える。レトロな商店街はいつ来ても賑わっているように見える。
回りに寺社が多いせいかマンションなどの高い建物がない。
そのせいかレトロな町並みが余計に際立つ。
不思議な事に有名建築家やゼネコンが街を開発すればするほど、作られた町は魅力が無くなる。
体脂肪率を気にしつつ谷中コロッケを食べてみる。
やはり、身体に悪いといわれる脂など、多ければ多い程、美味しいのが未だに止められない所以だ。
かき氷で有名なひみつ堂を過ぎてしばらく行くと江戸時代に作られたという辻塀に出る。
根津神社に向かって歩き、程よい疲れが出た所で乱歩という名の、これでやっているのだろうかと思われるような不思議な喫茶店で一休み。
根津神社は、たまたま例大祭をやっていて縁日の屋台や神輿が繰り出して賑やかだった。
締めは、有名蕎麦店の鷹匠の蕎麦に日本酒。
これにて一件落着といきたいが帰りがある。
疲れた足にアルコールのだるさが加わり朦朧として、しかし、もと来た道をとぼとぼと戻る。
途中、あれがヒマヤラ杉と言われても酩酊した初老の眼中にもうは入らない。
入るのは、沢山の猫に会えると大いに期待して来たのに日中の暑さと恐らく御彼岸の墓参りであろう人混みばかりで、肝心の猫にはほとんど会えず頬を膨らますばかりの我が連れ合いの横顔だけだ。
「機嫌が悪い猫のしっぽを踏むほど愚かな事はない。」などと思いつつ、そっと、そして静かに帰りの途についたのは長年の生きる知恵であるのは云うまでもない。
三丁目の夕陽の世界は、猫に出会わなくても、しかし再訪問の価値ある街である。
「また、一緒に来ようよ!」と不意に口走ってしまったのは決してアルコールのせいではない。

2013年9月3日火曜日

大災害

1923年9月1日の昼頃に関東大震災が起こった。東京が壊滅的な打撃を被った。
震災経験があるにも関わらず、その後の東京は災害には弱い都市のままだ。
首都高や下町の道の狭さ、昼間人口の多さなど、関東大震災の経験が全く生かされていない。
日本人の典型的性格の「喉元過ぎれば暑さ忘れる」があるからだろう。
もちろん七転八起で繰り返し復活できる所以だが、同じことを繰り返す愚は避けなければならない。
先の震災でも、その後同じような場所に住み、強大な防波堤を作ってもう絶対に安心だと思うのなら、また来るかも知れない災害に想定外の言葉で言い訳をすることになる。
絶対にということはないし、ましてや絶対大丈夫ということはない。
だから、起こったら何ができるのか何ができないのかを想定し事前に対応することが必要だ。
もしかしたら、個人の利益をある程度制限するのもやむを得ないかも知れない。
そうでなければ町作りは個人のエゴの前に頓挫するだろう。
大丈夫と言えないものは作らない方がいいだろうし、その側には住まない方がいい。
想定される近未来の災害。今度こそは、経験を生かして乗りきると信じたい。