2011年2月14日月曜日

最近読んだ本

最近、立て続けに、東京の副知事である猪瀬直樹氏の著作(昭和16年夏の敗戦 ジミーの誕生日 アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」東京の副知事になってみたら)を読んでみた。
大学入試では、日本史を取ったが、それでも近代史はなかなか複雑で苦手であった。
日本が米国と戦争したにしても、それは当時の軍部の暴走だろうぐらいの知識であった。
ABCD包囲網により、石油などの資源が枯渇し、それを求めて南進をした位の程度の勉学であった。
総力戦研究所に関しては、新たな情報である。
また、もともと当時の組織構造が、天皇を中心としてはいるが、二重権力構造であり、その為、大本営等の軍側を内閣が抑えることができなかったなどは、今更ながらにそうなんだと納得。
現在のシビリアンコントロールは、その点を抑えたフィードバックなんだろう。
東京の副知事になってみたら」は、是非、読んでおくべきだと思う。
国と地方の関係がよく分かる。東京都民として早く読んでおけば良かった。
氏の調査力もすごいと思ったが、政治家としてのバイタリティ、タフネゴシエーション、説得性など、今の政党政治家と比較すると考えさせられてしまう。

2011年2月9日水曜日

携帯のつながりやすさ

いまどきは、子供から大人まで携帯を持っている。
むしろ、駅の公衆電話を使う人を見るのが珍しい世の中だ。
最近は、iPhoneに代表されるようなスマートフォンにガラパゴス携帯から移行しているようにも見える。
そんな便利な携帯なのだが、必ずしも必要なときに使えるとは限らない。
あるいは、使えても遅いなど不便な場合も使えたとはいえないだろう。
 先だって、テレビで紹介された秩父の三十槌(みそつち)のつららに車で出かけた。
iPhoneは非常に便利だ。我が家の車のカーナビは、長年更新していないせいか、新しい道などは載っていない。また、目的地付近に来たが、カーナビはピンポイントで指示していないので迷ってしまう。
そんなとき、iPhoneで検索し、地図表示できれば目的地までのルートが明確に分かってしまう。
ところが、そのような便利さも携帯やスマートフォンがネットワークに接続できた場合にかぎってであろう。
三十槌(みそつち)のつららに出かけた帰り道に、道の駅大滝温泉に立ち寄ってみた。
秩父なのでiPhoneは使えないだろうと予想したが案の定、娘のiPhoneは、つながらなかった。
娘は不満たらたらだったが、ちなみに、自分が使っているドコモの携帯はつながるだろうかと試してみたところ、つながるではないか。
たしかに携帯やスマートフォンは便利だが、使いたいときに使えない携帯ってどうかと思うのは自分だけだろうか。
もし、全国の道の駅で、各社の携帯の接続性を○×つけたら面白いと思う。

2011年1月26日水曜日

東京水道水

昨日、日本vs韓国のサッカー試合がドーハであった。
勝敗は、日本がかろうじてPK戦で勝利したが、それに絡んで、東京都副知事の猪瀬直樹氏がツイッタで東京水道水の水圧オペレーションを紹介していた。
それによると、日本(東京)の試合会場で、試合中は、水道の水圧を下げ、試合が終わると同時に水圧を上げるというようなオペレーションをしているそうだ。
試合が終わると一斉に皆トイレに駆け込むから、瞬間的に水圧は下がる。それを補う水圧を上げるオペレーションをするという。
普段何気なく使っているトイレもこのようなオペレーションを水道局がやっていると思うと、押せば流れる、ひねれば「自然に」流れる流水も実は「自然ではない」ことに気づかされる。
日常の便利さも、常に便利であると、それが自然のことのように思えてくるが、実は、自然はもっと過酷で、それを人間の努力で補っていることを忘れてしまう。
考えてみると、我々は、「虚構の中の自然」の中で、虚構の自然を実際の自然と感じて生きている気がしてならない。

2010年12月28日火曜日

いよいよ大晦日

といっても、まだ数日ある。
しかし、世の中はもう大晦日の様だ。
テレビでは、年末番組を放映し、街は年末セールでごった返している。
世の中は、デフレである。家飲みが多いとのことであるが、街の立ち飲み屋だけは夜になると混雑している。
駅では、タクシーが閑そうに長蛇の列。それでも企業や個人は、やっていけるのかと思うほどである。
生物多様性の時代である。すべては因果応報、原因と結果。オオカミが害獣だと殺せば、被害を受けていたエゾシカが増え過ぎ、世界遺産を台無しにする。
物価が安ければ、それを販売する企業の収益は減る。従業員はリストラだ。リストラされればタクシーだって使わないだろう。
首都圏を便利にすれば、企業は集中するし人も集中する。
そうすれば、地方は不便になり、企業は減り、人も減る。
巡るめく輪廻の世界。
しかし、これは今に始まったことではないだろう。
地方を活性化させたければ都市を不便にすればいい。
エゾシカが増えすぎてこまるならオオカミを絶滅させなければいい。
要は、陰陽のバランスの問題だ。
今の世の中は、東洋医学的な視点からすれば病的である。バランスが極端に悪い。
既に遅いかもしれないが、不治の病にならない前にバランスを取り戻すことが必要である。
来年も同じ調子なのか、あるいはバランスを取り戻すことができるのか。
我が祖国には、後者であって欲しいと願う年末である。

2010年12月13日月曜日

日本は意外と資源国

日本がレアアースを一国からの輸入に頼りすぎて問題になると、日本は資源が無い国だとつくづく思い知らされてしまう。
しかし、同時に、外国人が日本の林野を買収しているという話を聞くと、無資源国という認識を見直さなければならない事に気がつく。

日本は、実は、有数の水資源国だそうである。
2008年度の通商白書(経済産業省)によると、世界で11億人の人々が安全な水の供給がない状況で生活しており、その為に、毎日4500人以上の児童が亡くなっているという。
この状態は、今後更に深刻化すると予想されており、2025年には世界で55億人の人間が水不足に陥るとの予想があるそうだ。
それに比べ、日本は、場所により1000mmから3000mmも降雨があり、しかも山と森林に恵まれ、良質の水資源が確保できる。
それに対して、中国などは、年間降水量が日本の半分ほどで、しかも国土は平地が多いので川の流れが遅く、汚れが滞留するという。

日本の水資源が良質で豊富、しかも、デフレにありちょうどお買い得ということに気づいた外国人が日本の森林を買収しているのだそうだ。
林野庁が各都道府県に買収の状況をヒアリングしているが、状況を自動的に吸い上げる法的メカニズムがない。また、買収を許可制にするなどの制限を加えるなどの対処もできない。
いわゆる無防備の状態で日本の水資源が買われていく。
このような状況で、いままでのように、そしてこれからも日本は、寛容な、無策の国でいいのだろうか。
ひたひたと国家が沈没していく音が聞こえてくる。


2010年11月26日金曜日

国を憂うる

11月25日は、40年前に、三島由紀夫が、東京の防衛省敷地内にある陸上自衛隊東部方面総監部の総監室に立てこもり最後は割腹自殺した日である。
当時の総監室は、バルコニーと共に市ケ谷記念館として保存されている。

また、市ヶ谷記念館には、終戦後に極東国際軍事裁判(東京裁判)法廷となった旧陸軍士官学校大講堂も復元・保存しているので昭和の戦い・軍史などをみることができる。

バルコニーに出た三島由起夫は、自衛官約千人を集めさせ、「日本を骨抜きにした憲法に体をぶつけて死ぬ奴は、いないのか」などの檄文をまいて演説したそうだ。
翻って、尖閣諸島の中国漁船の領海侵犯事件、北方領土へのロシア大統領訪問、韓国哨戒艦沈没事件、韓国への北朝鮮からの砲撃など、日本を取り巻く国々との問題は平和ぼけしている一般人ですらこのままでいいのかという思いに駆られる。

当時の中曽根康弘防衛庁長官は、「常軌を逸した行動」とコメントしたそうだが、現在の多くの日本人は、北朝鮮、中国、ロシアといった国々の行動が「常軌を逸して」いると感じていると云うのは言い過ぎだろうか。
韓国は、北朝鮮の砲撃に対して即応できなかったため、国防大臣を更迭した。
日本は、デフレで苦しむ国民を無視して、政治家は、方言をした大臣の罷免だ問責決議だと騒いでいる。
戦略、戦術を駆使して国を引っ張っていく事が必要とされる我が国の総理大臣は、どこか頼りなさげに見える。
もし、三島由紀夫が生きながらえていたとしたら、当時の自殺があまりにも空しいことに気がつくはずだと思う。
なぜなら、今日本が置かれている状況は、40年前よりはるかにひどく、愚かな政治家がはるかに多いから。









2010年11月17日水曜日

Right StuffかLight Stuffか

最近の総理大臣や国務大臣の言動をみると以前読んだTom Wolfeの小説の題名(Right Stuff)を思い出さざるを得ない。
Right Stuffとは、「正しい資質(をもった人々)」という意味である。本の中では、「NASAのマーキュリー計画(宇宙に人間を送り出す国家プロジェクト)を背景に、戦闘機パイロットが「ライトスタッフ(己にしかない正しい資質)」に従い孤独な挑戦を続ける姿と、国家の重圧に耐えながら信頼の絆を深め合う宇宙飛行士と家族の姿とを対比」して描かれている。
翻って、日本の最近の総理大臣をみると、果たして、Right Stuffといえるのだろうか。
あるいは、Right Stuffを持った総理なのだろうか。

日本では、内閣が総辞職した場合、又は内閣総理大臣が欠けた場合、日本国憲法第67条の規定により、国会において文民である国会議員から内閣総理大臣を選出しなければならないとされているが、そのプロセスはいささか複雑である。
実際には衆議院で過半数をとった政党の党首がなることになる(衆議院の議決が優越されるため)。

この政党の党首を選出するプロセスが、日本の最高権力者である総理大臣を選出するのに、適切であるかどうかかが問題である。
選挙で過半数をとった政党なので、その政党に属する議員の過半数によって選ばれれば間接的に民意が反映された総理だと算術的に考えればいえなくもない。
しかし、議員以外の党費を払って加入した一部の一般民間人も投票するとなるとどうだろうか。
総理を選ぶというのに一部の民意しか反映されない、この不可思議なプロセスで選ばれた権力者は、妥当であるといえるだろうか。

また、党内で選挙の対象となる候補者も、最高権力を握り、国を動かすべく、正しい資質(Right Stuff)を持った議員といえるのだろうか。
他国との交渉力、大臣をコントロールする制御力、他党との交渉力、メディアとの接し方など評価のポイントはいろいろとあるだろうが正しく評価されて候補者になり選抜されて来ているのだろうか。

これらの自問自答的な質問に対して、おそらく多くの人が、Noということだろうと思う。
やはり、討論会などを通して、候補者の「正しい資質(Right Stuff)」をあぶり出し、Right Stuffを有したと思われる候補者を国民投票で選抜する仕組みが必要とされる時代ではないかと思う。

ちなみに、ころころ自分の主張が豹変したり、あきらかに批判されるような軽い言動をする総理大臣、国務大臣などは、Light Stuff(軽い人々)と呼ばれ揶揄されるのは当然だろう。

日本の総理大臣、国務大臣には、過去にもましてRight Stuffが要求されている。


Right Stuff : 正しい資質。1979年に出版されたTom Wolfeの小説の題名でも有名。
Light Stuff : 軽い人々