2010年10月14日木曜日

尖閣諸島

大前研一氏がNikkeiBPネットで「尖閣諸島」について、「歴史を知らない民主党」ということで年表と共に興味深い記事(201年10月6日)を書いていた。

尖閣諸島年表
1895 日清戦争後の下関条約で台湾を日本に割譲:沖縄県に編入
(尖閣諸島は、もともとは台湾の一部であったが台湾の領有後は沖縄に)
1896 古賀辰四郎に30年リース
1932 古賀家有償で払い下げ 私有地に
1940 鰹節工場閉鎖で無人島に
1945 米軍の沖縄統治
1951 サンフランシスコ条約で米軍統治下に
1968 国連アジア極東経済委員会 石油埋蔵”1000億バレル以上”
1972 沖縄返還
1978 鄧小平来日「日中平和条約」調印で”棚上げ”
1992 中華人民共和国「領海法」で中国領と明記
2004 活動家7人上陸 強制送還
2005 日米2プラス2会議で島嶼防衛は日本の役割と規定
2008 台湾遊漁船「連合号」 ”こしき”と衝突、沈没 日本結局謝罪
2010 中国漁船と海保巡視船と生得 公務執行妨害で逮捕・釈放

大前研一氏の記事は以下である。
・・・問題の発端は1895年の下関条約にある。
日清戦争に勝利した日本が、この条約によって中国から台湾を割譲し、尖閣諸島を沖縄県に編入したのである。
日本は台湾県をつくったが、そこに尖閣諸島を組み入れることはしないで、沖縄県に含めていた。
つまりそれ以前の尖閣諸島は台湾領だったわけで、これは非常に重要なポイントである。
台湾領であったという事実が中国が領有権を主張する根拠になっているからだ。
しかし外務省の見解はこれと異なり、尖閣諸島を沖縄に編入したのは同じ1895年であっても下関条約を締結した4月よりも3カ月前の1月であったから、両者は独立した事象である、という。
日本政府は10年近く尖閣諸島を調査し、どこにも属さない領土だということを確認した上で(たまたま)1895年1月14日に閣議決定して沖縄県に編入した、という。
しかしこれは非公開の閣議決定であり、国会での決定でもなければ諸外国が知りうるような形で公表もしていないわけで、鳥取県議会の竹島領有宣言よりも国際的な認知は得にくい。
・・・

氏は、記事の中でいくつかのポイントを指摘している。
・鄧小平が、1978年に日本に来日した際は、「日中平和条約」調印を優先させ、尖閣諸島に関する事案は、次世代に先送りし、両国共に”棚上げ”した。
・自民党の2枚舌
国内においては、尖閣諸島は、自国領土といい、中国に対しては棚上げという二枚舌を長年使い分けていた。
1992年に中国が「領海法」で中国領と明記した時に、当時の小泉首相は、抗議したがそれ以上の行動はとらなかった。
・2005年の日米2プラス2会議で島嶼防衛は日本の役割と規定しているので、尖閣諸島など島嶼の防衛は日本の枠割りとなっている。
尖閣諸島だけが攻撃された場合、日本では日米安保条約で米軍が出動すると思っているが上記により実際に出動するか疑問。
・歴史を知らない民主党
民主党はこのような歴史背景からの自民党の二枚舌を理解せず行動したため、中国側も黙っていなかった。

この記事には、この他に第二次世界大戦で日本が無条件降伏した後の北方四島の問題などが記載されている。
領土に関しては、戦争が絡む。勝てば領土を拡張するが平和時にはそれが問題となる。
更に海洋資源、エネルギー資源の問題も出てくる。何の資源も絡まなければ解決は、もっと容易かもしれない。
歴史を知る、歴史の裏の事実を知ると言うことは現実の問題を知ることになる。

東京都の副知事、猪瀬直樹氏も同様の事を言っていた。
マスメディアの表面的な情報に流されてはいけないと思うこの頃である。