ネットでは盛んに長距離を走る(ほとんど歩く)芸能人ランナーに支払われるギャラの情報が流されていた。
何と1000万円だとか。真偽の程は定かではないがあり得る話だと思う。
これまた、お涙ちょうだいのストーリーをこれでもかと流す24時間テレビ。
もちろん、題材となったものについては真実だと信じたいが、先のギャラのことを思うと全てが金にまつわるメディアが作りあげた虚構に思えてしまう。
視聴率が上がればあがるほど莫大な広告宣伝料が入るマスメディアの世界。
全てを虚構の世界に作りあげることは可能だ。
日本人がこの閉ざされた虚構の世界で夢見ることができた時代ははるか昔。
メディアに騙されてはいけない。
国の借金は1000兆の額、右を見ても左を見ても高齢者ばかり。
もはや、日本はディズニーランドではない。
夢から覚めて、真実を見つめるときが来ている気がする。
寄付を募るなら募集する側も透明であるべき。
出演する側も出演料を寄付するとか。
そうでなければ、あのテレビは全くの茶番劇。裏でしっかり稼ぎ、庶民からは寄付を募る、むしろバラエティ番組として放映した方がふさわしいと思う。
2013年8月18日日曜日
2013年8月13日火曜日
2013年8月11日日曜日
2013年8月7日水曜日
孤高の人
山になかなか行けなくなったのだが、相棒は、孤高の人となり待っているという。
実に嬉しいことだが、孤高の人ってのはいったいどのような人物像だとふと疑問が湧く。
広辞苑には、こう書いてあった。
---
こ‐こう【孤高】‥
ひとりかけはなれて高い境地にいること。ひとり超然としていること。「—を持する」「—の人」
---
…ということは、「超然と一人高い志を持ち、孤独に待っている」ということかと勝手にイメージを膨らませたりするが、しかし脳裏に浮かんできた正反対の像を吹き払うのに、にやにやしながら苦労している自分自身はきっと変だろうなぁと思う。
くそ暑い中の山行は、ハード以上にハードだが水分補給の冷たいスイカや山頂付近の山小屋で飲むビールは厳しさを忘れさせてくれる天国の一杯だ。
この為に苦労して登るといっても過言ではない。
しばらくは、孤高の人で待つ友を思い、今宵、此方は泡にまみれるとしようか。
実に嬉しいことだが、孤高の人ってのはいったいどのような人物像だとふと疑問が湧く。
広辞苑には、こう書いてあった。
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こ‐こう【孤高】‥
ひとりかけはなれて高い境地にいること。ひとり超然としていること。「—を持する」「—の人」
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…ということは、「超然と一人高い志を持ち、孤独に待っている」ということかと勝手にイメージを膨らませたりするが、しかし脳裏に浮かんできた正反対の像を吹き払うのに、にやにやしながら苦労している自分自身はきっと変だろうなぁと思う。
くそ暑い中の山行は、ハード以上にハードだが水分補給の冷たいスイカや山頂付近の山小屋で飲むビールは厳しさを忘れさせてくれる天国の一杯だ。
この為に苦労して登るといっても過言ではない。
しばらくは、孤高の人で待つ友を思い、今宵、此方は泡にまみれるとしようか。
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